表現。心とつながって書くと、どこに届くのか?
今日は、表現の話。
文章であれ、絵や歌、アートであれ、
自分の心と深くつながって表現をすると、どこに届くのか? について考察しました。
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『「自分が本当に思ったこと」を突き詰めていくと、「大勢の人が心のどこかで思っていたこと」に到達する』
と以前、記事にしましたが
→【一般の感覚から離れ、「変」を経由して思想になる】
大勢の人の「どこに」届いているんだろう? と思い、図にしてみました。
心の深部から汲み出したものは、大勢の人の心の深部へと伝わっていくのだろうと思います。
頭で論理的に理解するというよりも、「うんうん、そうだよねぇ」と腑に落ちるとか、「なんか、いいよね」という共感として、伝わる。
私は、本でもコラムでも絵でも、心の深い部分につながりながら書いていると、
「あ、そうなんだ」とわかる感じがしたり、インスピレーションが湧いてきたりと、
自分の能力を越えたものが出てきたように感じる時があります。
個人を越えた領域……「人類の叡智」「大いなるもの」みたいなものが、どうやら本当にあるようだと、最近思うようになりました。
直感やインスピレーションは、心と体を土台に発生しますが、
体は人類の歴史の積み重ねで今ここにあるので、
直感やインスピレーションを使うとは、人類の叡智に助けてもらうということなのだろうと思います。
心の深い部分から汲み出して、言葉や絵や音楽、アートなどの表現にすると
考え方や価値観、感じ方の違いを越えて、
人類の普遍的な部分へ届いていくんだろうと思います。
<余談>
他者とのコミュニケーションには、
「表面的なやりとり」
「本音で話す」
「共感」
などがありますが、それぞれ下図のようなイメージです。
そして、
あまりに深い部分から汲み出されたものは、共感しても、簡単には「ここがいい」と言葉にできない。
著者の汲み出したカタマリのまま、原始的な感触でもって、迫ってくるように感じます。
↓そのときの話
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