苦手なのに「できるからやっちゃう」の罠
こんにちは、カウンセラーの武田です。繊細な人やHSPの方から、仕事や人間関係のご相談を承っています。(東京・お電話・スカイプ)
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【できるからやってしまう、の罠】
・やりたくてやる
・仕方なくやる
の違いをしみじみと感じた話^^
* * *
自分でお仕事をしていると
「苦手なこと」は
とことん効率が悪いとわかる。
苦手なことって
労力がかかるし、
短時間でも疲れる。
好きな時間に起きて
好きなことを仕事にしていると、
じぶんが、
・なにが得意で
・なにがしたくて
・なにが苦手で
・なにをやりたくないのか
はっきりしてくる。
仕事だけでなく、
プライベートでも
得意・不得意がくっきり浮かび上がる。
* * *
家事でいうと、
わたしは
片付けが趣味だ。
ストレスが全くない。
その一方、
料理がきらいだ。生きて行く上で、ざんねんなことに。。
作る時間より
食べる時間が圧倒的に短いし、
そもそも食に興味がないので、
わたしにとって
「料理は効率が悪いもの」なのであるむー
だが、
きらいとはいえ、できる。
クックパッドで調べるなりして、
それなりに、作れる。
こうやって
「できてしまう」のが罠である。
お見合い相手のつりーさん宅にて
つりーさんの帰りが遅く
かつ、
良い土付き里芋が
いたみかけていたので
「あらー^^」
と思って
人生初・里芋を煮てみた。
皮をむき、
三度ゆでこぼし、
料理好きな つりーさんの家には
顆粒状のだしがないので
こんぶとかつおぶしでだしをとって
里芋を煮た。
(顆粒状のだしを買いに行く方がめんどうだ。買い物からして料理が嫌いだ(´・ω・))
結果、
おいしくできた。
顆粒状のだしを使うより、
味はまろやかだ。おいしい。
↓まだ出汁パックがはいってる。いつ出せばいいんだ。。
しかして、心は複雑だ。
心底苦手なことをやるというのは
・おいしくできたからいいかな、とか
・食べてくれる人がいるから、とか
そういう後付けの理由が通用する次元ではないのである。
おいしくできようが
お見合い相手が喜んでくれようが
苦手なことをやると
負の感情がわく。
「なんでやらなきゃいけないんだ」
という怒りである。
なお、
夕飯作りを
つりーさんに頼まれたわけではなく
「里芋いたんじゃうし、煮よう^^」
と、
「わたしが勝手に里芋を煮た」のである。
苦手だとわかってたのに
「できるから、やっちゃった」のである。
その結果
ひとりで勝手に
「なんでわたしが里芋煮なきゃいけないんだ!」
と思っている。
これ、
勝手にやって
勝手に怒ってる
残念な状態です。。。(´・ω・)
なんにせよ、
「苦手だけど、できるからやっちゃう」は、危ない。
こんなことを続けていては、
いつか爆発する。
「多少できようと、
やりたくないことは、やらない」
そう決めたほうがいい。
* * *
「ほんとは苦手だけど、やる」
って、
会社にいたころ
当たり前にやっていた。
苦手なことを人に任せる、
という選択肢が
そもそも見えていなかったし、
仕事上、「得意なことだけやる」のが
許される環境ではなかった。
だけど、ほんとうは
組織全体として
「各個人が得意な分野に集中する」
環境をつくるほうが
長い目で見て
圧倒的に良い成果が出るのである。
適材適所をするための
人事であり、偉い人々だ。
「料理好きな人が料理を作り」
「掃除好きな人が掃除する」のがいい。
* * *
ということで、
自分でお仕事してるひとも
組織で働いている人も、
部下がいる人ならなおさら、
・この仕事を最も得意とする人は誰か?
・苦手なことは得意な人に頼めないか?
・いかに得意なこと「のみ」に集中する環境をつくるか
を、考えてみてはどうだろうか。
いろんな難関があると思うけど
きっとそのほうが
将来的に、みんなが幸せに働けると思う。
とりあえず、わたしは
土付きの里芋には
二度と手をださない。。。(´・ω・)