宮古島。自然の力に運ばれて進む

肌寒くなってきましたね。
みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。
 
ちょっと前の経験なのだけど、この夏のことを書いてみました。
  
自然の力に運ばれたよ、という記事です。
  
  

 

夏、姉家族と宮古島に行ってきました。
  
娘(5歳)が一人っ子なので、年の近い従姉妹たちと会わせてあげたい気持ちがあり、長期休みはできるだけ姉家族と合流しています。
 
 
 
朝ごはんを食べて
ぷかぷか海に浮かぶと
あっというまにお昼の時間。
 
日よけのテントで寝落ちして
海で小さな魚をながめて
 
そしたら
あっというまに5時間たってた…
 
みたいな一週間でした。
 
 

 
 
旅のあいだは、アナログな生活がいいなと思っていたので
 
夜は、子供たちが寝たあと
図書館で借りておいた本を読んで、眠ります。
 
 
 
 
ぼんやりしてても、一日を生きられる。
 
力の使い方の全くちがう一週間を過ごしていると
 
あまりに良くて
「ここに住みたい!」と思ったくらい。
 
人生で、こんな気持ちになったのは初めてです。
  
 

 
 
東京に帰ってきて
子どもを保育園に送ったり
締め切りのある原稿を仕上げたりしてたんですが、
 
なんかこう、、
 
空回りというか、
ギギギギギ…と重い机を押していくような
ものすごい”自力感”がありました。
 
 
波や夕日、おなかの空き具合…
 
宮古島では、
自然のリズムに乗って
 
ざぶーんと
夜へ運ばれていたけど
 
 
東京にいると
何時までに保育園に行って
この日までに原稿を送って…、と
なにもかもを意図して進めないといけない。
 
 
波に運ばれることができなくて
  
長い道のりを、全部自分で歩かなければ
一日の終わりにたどり着けない。
 
 
 
「自然の力に乗れない」っていうのは
こんなに大変なことだったんだ、と
初めて気がつきました。
 
 
 
アフリカに
「早く行くなら、ひとりで行け。遠くまで行くなら、みんなと行け」
ということわざがあるらしいのですが
 
それを思い出して
 
早く行くなら…、短期的な成果を出すなら
都会かもしれないけど
 
 
遠くまで行けるのは
 
愛とか、人間の生き物としての力とか、
そういった深みへたどり着けるのは
 
きっと自然のそばなのだろう、と思いました。
 
 
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