「幸せとはなにか」を考えると、生きること、そして死へとつながっていく

いつも、コラムを書くとなると、1記事3時間ぐらいかかります。
 
ここ数年、仕事と育児でへとへとでして(苦笑)、子どもが眠った後に「さぁ3時間書くぞ」というのが本当に難しくて、ブログを書くのを何度も挫折していたのですが、
 
それでも、毎日ブログを書いている人が本当に羨ましくて、「いいなぁー、短い文章でもいいから、あんなふうに日々のことを書けたらいいのになぁーーー!」と見ていました。
 
 
書くならば、
とことん深く突き詰めて、考えを掘り下げて掘り下げて、書きたい!
という願望があるんですが、現実的になかなか難しそうなので、
 
とりあえず、今できることから。
 
結論が出なくても、3時間かけられなくても、
日々思ったことを、アウトプットしていこうと思います。
 
 

 
 
さて、
「幸せとはなにか?」を考えていくと、「生きるってどういうこと?」につながって、
 
ゆくゆくは「死とはなにか」につながるんだなと感じています。
 
 
 
新刊『「繊細さん」の幸せリスト」を4月に発売し、そのなかで「幸せとは?」を考えていったのですが、
 
幸せについて考えることは、生きるってどういうことか、を考えることでもありました。
 

「繊細さん」の幸せリスト
1,430円
Amazon ※電子書籍もあります
 
 
私にとって、生きる意味とは
成果を出すことではなくて
 
紅茶がおいしいなぁ、
お天気で嬉しい、
家族とのやりとりが愛おしい、
深く考えて人類の叡智とつながる
など
 
毎日の幸せを感じられることなのだと
思っています。
 
 
 
そうやって生きることをとらえなおしたあとに
新型コロナウイルスの波がきて
死がクローズアップされました。
 
 
死を考えた時、
私は大筋ではやりたいことをやり
おいしいなぁ、嬉しいなぁ、と生きていて
娘にも毎日のように「大好きだよ」と伝えられていたので
 
「死んでも悔いはない」と
頭では、思ったんです。
 
でも同時に
「死んでも悔いがない」なんて変だと。
娘はまだ3歳で、悔いがないわけがないから。
 
 
私には、死というものがわからないのだ。実感を持てないのだ、と思いました。
 
 
 
そんな時期に、「潮」という雑誌で繊細さんについてのインタビュー取材を受け、同じ号に掲載されていた医師の言葉を目にしました。
 

ところが今は、もう一つ大切なつながりがあると感じている。それは「生と死のつながり」だ。
 
ここがつながっていないと、どうも生きにくいような気がする。
 
しかし、現代の人々は死を忌み嫌い、なるべく生から遠ざけてきた。
 
-雑誌「潮」5月号 鎌田實著「被災地で”幽霊”が教えてくれたこと」より引用

 
 
「生と死のつながり」。
 
これはすごい言葉だと、ずっと心に残っていました。
 
そうか、生きることをやっていくと、死とつながっていくのか、と。
 
 
 
では、死は、自分にとってどんな意味を持つのだろうか?
 
自分で考えても限界があったので、記事の中で紹介されていた本や、そのほか死に関する本を読み……。
 
 
おぼろげにわかってきたのは、
 
死は、死んだらなにもなくなるということではなくて、
 
生者が死者になるとき、魂の存在が前面にでてくるのだということでした。
 

 
 
生きることは死とつながっていて、死は魂につながっていく。 
 
身体が生命活動を終えても、広義での「生きる」は続いていくように思える。
 
 
私自身は死んだことがなく
大人になってから大切な人を亡くした経験がないので
 
死というものが果たしてどういうものなのか、
実感をもってはわからないけれども
 
幸せとはなにかを追いかけるうちに、死、そして魂へと
つながっていくのか、と
 
生きるということの壮大さに
草原から、宇宙を見上げるような
心持ちでいます。