表現の2つの方向:ニーズへの呼応と、深掘り。そして第三の道。

数ヶ月ぶりに、油絵を描きました。
  
絵を描きたいなぁ、絵を描いて本を書いてという人生にするんだ!
と思いつつ、
 
原稿やセミナー、取材などのお仕事を途切れなくいただいて
油絵の道具が入ったクローゼットを横目に
パソコンに向かった一年でした。
 
 
 
原稿を書いているあいだは、絵を描けないです。
 
気持ちが向かないし、
絵を描くのは、どことなく怖い感じがして。
 
絵は、感情が出すぎる。
 
 
 
春に出る新刊に、詳しく書くのですが
表現には、2つの方向性があります。
 
世の中のニーズに応えていく「呼応」と、
自分の心や感覚を探索していく「深掘り」。
 
 
 
私の場合、
原稿は、呼応の要素が強いです。
読者さんのことを念頭に置き、世の中のニーズをキャッチしながら、役に立つであろうことを書きます。
 
ニーズに引っ張られすぎると、
テンションの高い、読んでいてせわしない文章になってしまうので
 
ニーズに呼応しながら、同時に心に潜り、
心に情景が浮かぶような文章を書く……ということを、ここ半年ぐらいで意識的に訓練しました。
 
すると、心に潜れる深さが深くなり
「いま、心とつながっているか」を体で感じながら、
文章を書けるようになりました。
 
 
 
 
文章では、いかに心とつながるかを試行錯誤しているのに、
 
絵、は
訓練も何もいらず
ダイレクトに心が出ます。
 
 
  
原稿での訓練を通して、心に深くつながった状態で
絵を描いたら大変というか、
なにが出てくるかわからないというか……。
 
そんな怖さがあったんですが
原稿が一段落つき
娘も保育園に行き
朝日の中で眠って、足りなかった睡眠を追加して
 
これはもう描かねばどうにもならん、と
クローゼットを開けました。
 
 
 
キャンバスの側面四方に、ぐるっとマスキングテープを張って、心を整え
 
新しく買っておいたキャンバスが、どうも白すぎる、と
柔らかなオレンジを、ざぁっと筆で広げていくと
 
ああ、帰ってきた。
怖がらなくて良かったんだ。
 
と、安心感が朝焼けのように広がりました。
 
同時に、
これはやはり文章の時期には描けまい、
という納得も。
 
 
 
 
絵を描いているあいだ、涙がとめどなくあふれ
 
薔薇の美しさを言葉にできないように
 
ふーっと上がってくる透明な気持ちは、言語化できるレイヤーにはなくて
 
 
絵を描くときと、文章を書くときとでは
湧いてくる感情の深さ、生きている深さが、違います。
 
 
絵を描くときの透明な感じで生きるのか、
それとも世の中に呼応していくのか、
生き方の岐路に立っている気がしました。
 
 
 
 
まわりなど何も関係ない、深掘りの「絵」と、
ある程度ニーズに呼応する「文章」。
 
今はまだ、2つの生き方を同時にできないから
岐路にみえるけれど
 
表現にも、生き方にも
深掘りと呼応が統合された、
第三の道があるのだと思います。
 
 
 

 
 
 
仕事が落ち着いたら、また絵の個展をしようと思っています。
 
 
絵を描き、文章を書き、
たくさんの人たちと、心が行き交うコミュニケーションをする。
 
そのサイクルを繰り返して、私が成熟し
 
矛盾する感情や、いくつもの方向を内包できる
柔らかい闇を持ったなら
 
深掘りと呼応が
「今はこちら」と分断されるのではなく
同時に成り立っていくのだろうと思います。
 
 
写真:昨年の個展の様子