目指す幸せ、目指さない幸せ。どちらもワクワクと。

今日は、幸せについての考察です。
 
目指す幸せと、目指さない幸せ。その掛け合わせについて。
 
 

 
 
最近、「幸せってなんだろう?」と考えている。
 
昨夜、眠る前に、ふと 
「幸せって、”目指す”とはちがう種類のものごとなんだな」
と思った。
 
 
  
出汁がおいしくて、「もう一口!」と追いかける時。
 
子供のほっぺたのラインがぽやぽやしていて、かわいいのぅ…と眺める時。
 
夕焼けの空がきれいだなぁと思う時。
 
 
「もっと良くしよう」とか「どこかを目指そう」という思考はなくて、ただ「おいしい!」と味わったり、「きれいだなぁ」と眺めたりしている。
 
 
 
「今・ここ」を感じて味わう幸せは、どこかを目指すものではない。今ここで感じて、完了。
 
ゆえに、
成果主義にからめとられていると――「結果を出す」「向上させる」など、常になにかを目指す成果主義に人生が覆われていると――毎日のちょっとした幸せを、つい忘れてしまう。
 
 

 
 
以前、カウンセリングを学んでいた時に、師が
「人間が根本から変わるのは、心底イヤになった時と、なにかに憧れた時だ」
と言っていた。
 
 
その言葉を聞いて、私は
「イヤになって人生が変わる」は経験したけど、憧れて人生が変わった経験はないなぁ。
と思った。
 
ファッションや家の片付けなど、「いいな」と思ったことを取り入れて、嬉しい・楽しい・良くなった、ということはあるんだけど、
 
「根本から人生が変わった」
「これに憧れたことがきっかけで、生き方が変わった」
と言えるほど大きな変化は、経験がないなと。
 
 
 
でも、今日街を歩いていて、ふと
「あ。これ、いいな」
と思うことがあった。
 
 
開眼させられるような強烈な憧れではなく、すーっと自然になじむ感じ。「私もこういうふうになったら、いいねぇ」という憧れ。
 
ふと感じたこの憧れ、「いいものだ」という感じがした。
 
大切にしてみようと思った。
 
 

 
 
なにかを目指す……、つまり未来に目標をおいた時点で「今ここ」の幸せとはズレるのかな? と思ったんだけど、
 
目指すものをみつけてみて気づいたのは
 
今ここの幸せを感じながら、「ああいうふうになったらいいな」を目指すことができる、ということだ。
 
 
 
まずはやりたいことをやるのが当たり前の人生にシフトする。その上で「目指す姿」をみつけると、
 
「今、我慢して、未来でリターンを得る」のではなく、
 
今まさに幸せを感じて作業しながら、「こうなりたい」という未来へ近づいていくことができるのだ。
 
言葉にしてみれば、当たり前のことだけれど……。
 
 
 
今の幸せを重視すると、
「今、幸せでいることで、結果的に幸せな未来ができていく」
という、ある意味結果論のようなやりかたになるのかな? と思っていた。
 
今幸せで「なんとかなるだろう」と安心感があっても、「はて、将来どうなるだろう?」と思うことは、ある。
(相談者さんの例だと「今の仕事が好きだけど、雇用形態が不安定で将来どうなるかわからない」など)
 
 
そんなとき、今の幸せの延長線上に「なりたい姿」をみつけると、「今幸せでいながら、幸せな未来を目指す」ことができる。
 
今の幸せに、未来への意図を掛け合わせることができるんだなと、この記事を書きながら発見して、驚いている。
 
 
*補足*
「そもそも、やりたいことをやるのが当たり前の人生にシフトするにはどうするの?」
については、12月の新刊でまるまる書いています。ぜひ御覧ください〜!