自分と、自分の中にある社会。〜フリースクールでのシンポジウムを終えて

先日、千葉県にあるフリースクール「ゆうび小さな学園」さんでの、教育シンポジウムに登壇しました。
 
40分ぐらいの講演と、90分のトークセミナー(会場のみなさまからのご質問に応えながら、心の話をする)の2本立て。
 
講演では繊細さについての基本や毎日をラクに生きるための対処法などをお伝えしたんですが、後半のトークセミナーでは、ずっとずっと、「イヤだ!」と思うことの大切さと、「できる・できないの世界から出るんだよ」という2つをお話していました。
 


 
フリースクールのスタッフ・保護者・支援者のみなさんからの質問を通して、子どもや若者の悩みの一端を知ることができたんだけれども……、衝撃がありました。
 
 
 
学校でのつらさと会社でのつらさがどこか似ていたし、
 
子どもが学校に行けない(行かない)ときのつらさと、大人が休職しているときのつらさが、根っこが同じだったんです。
 
  
「ちゃんとしなきゃいけない」
「なにかができなければ、生きていてはいけない」
「趣味も遊びも、他に上手な人がいるなら、自分がやる意味がない」
と自分を追い詰めてしまって、苦しくなる。
 
大人と子どもで同じ現象が起きていることに、愕然としてしまう。
 
 
 
傷ついたあと、大人も子どもも同じように、休んだり遊んだりしながら、回復していきます。
 
家などの安心できる場所で自分を守り、少人数の人と関わるようになり、やがて大人数と関わるようになっていく。
 
……けれど、そもそもなぜ、こんなに多くの人が、しんどい思いをせねばならないのか。
 
 
 
ただ普通に生きているだけでつらくなるのは、もはや個人の問題ではなく、社会がおかしいんだと思う。
 
自分の力で生き残らなければいけない、そのためには、なにかができなければならない。そうやって余裕をなくしているこの社会が、おかしい。
 
「成果」と「人間の価値」が混同されている状況が、人間全体を追い詰めている。上の世代も余裕がなくなり、若者や子どもにしわよせが来ているのだと思う。
 
 

 
 
繊細さんは、職場や集団のなかでつらい思いをしたとき、
「自分の感じ方がおかしいんだ(こんなことでつらくなる自分がおかしいんだ)」
「もっとタフにならなきゃ」
と、つらさを自分の責任として引き受ける人が多いです。
 
でも、環境のほうがおかしいことも、あるんです。
 
育った環境で自分を否定されたり、繊細さを理解されなかったりして、「自分の感じ方がおかしいのではないか」という思いが根底にあると、なにかあったときにも半自動的に「自分が悪いんだ」「自分がもっとがんばらなきゃ/タフにならなきゃ」と思ってしまう。
 
「自分が悪い」という思いがあると、まわりの環境のおかしさに、気づけなくなるのです。
 
 
 
しんどいときには、全部を自分の責任にするのではなく、「まわり/社会がおかしいのではないか」という視点を持ってほしい。
 
これは「自分は悪くない、社会が悪いんだ」と、「どっちのせいか」を押し付け合う視点ではないのです。自分がいて社会があるから、自分と社会を切り離せはしない。
 
 
「どうやら社会はおかしい。そして、自分のなかにも社会の価値観が入り込んでいる」
ということなのだと思います。
 
 
自分のままで生きる道のりで、起こるのは、
 
「自分vs.社会」

ではなく、

「自分vs.自分の中にある社会」
 
です。
 
 
 
自分の中にある社会と向き合って、社会の価値観へのとらわれから、少しずつ自由になる。
 
そういう個人が増えることで、社会全体が変わっていくのだと思います。
 
 
 
いつも最後には、自分がどうしたいかが大切になってくる。
 
おかしさをはらんだ社会のなかで、「では自分は、どう生きていきたいか」を、問われているのだと思います。
 
 
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