人間としての自分を信じる

ここ最近、自分なりの「人間観」のようなものを、少しずつ言語化しています。
 
今日は、「人間」の話。
 
「人間としての自分」「人間としての相手」をみることで、目の前の出来事に振り回されず、大丈夫だと思える、という話です。
 
 

 
 
先日、とあるカウンセリングでのこと。
 
お客様の置かれた状況は苦労の多いものでしたが、お話を伺っていて、私は、ふーーーーっと「大丈夫だ」と思ったんです。
 
カウンセリングの諸先輩方の動じない姿勢の一端が、わかった気がしました。
 
 
 
カウンセリングや精神医療において、凄腕の方は軽やかです。深刻な相談でも動じないし、言動も重たくない。
 
「ヘヴィな相談に対してどーんと構えていられるのは、どうしてだろう?」
と不思議だったのですが、あれは、
 
「人間の力を知っているからこその、胆力と一体となった軽やかさ」……なんじゃないかな、と思いました。
 
 

 
 
 
相談業を通して人間の変化を目の当たりにし、

自分自身もつらい時期を通り、何年もかけて変化した経験から、私は、「人間は、幸せな方へ歩いていく生き物だ」と思っています。
 
避けようのない大変なことも起こるし、生きていることがつらい時期もある。それでも人間は、幸せな方へ進む力を持っている。
 
 

そして、ほとんどの人間の心は、暖かい。
 
どんなに不道徳だと思える考えでも「そう思うんだね」と受け止めて、どうしてそう思うのかをたどっていけば、最終的には暖かい心に行き着く。
 
 
 
これらの人間観をもって「人間としての自分」「人間としての相手」に目を向けると、今までとは段違いの大きな「大丈夫」を感じます。
 
「前回こうだったから、今回もたぶん大丈夫」といった「これまでの経験に基づく大丈夫」ではなくて、「人間だから、大丈夫」という感じ。
 
自分自身に対しても、周りの人に対しても
「いま悩んでるけど、最終的にはきっと大丈夫。人間だから、幸せに向かう力を持っている」
と思えるのです。
 
 
 
 
ご相談を受けるときも、家族といるときも、
「人間としての自分」でもって、「人間としての相手」をみる。
 
そうすると、ちょっとやそっとじゃ動じない「大丈夫」がベースになります。
 
 
相手が大変そうでも手出しせずに見守っていられる。
 
見守ることで、おそらくですが、相手が持つ力も発動されやすくなります。
 
(大変な時、周りの人に動揺されたら、よけいに大変です。
 
「大丈夫」と、どーんと見守ってくれる人がいたら、安心です。そして、まわりからすぐに手出しされるのではなく、自分で試行錯誤するから、自分の力がついていきます)
 
 
 
「人間とはどういう生き物か」を実感することで、目の前の出来事が大変でも、その奥にある「大丈夫」を感じられるようになったのだと思います。