森林セラピー。内なる自然を、意志の力でガイドしていく
こんにちは、武田です。
久々のコラムです。
怒涛の9月が終わりまして、ひとやすみしています。
9月は、2冊めの本の原稿締切、トークイベント、シンポジウム…とイベント続き。ひとつひとつは楽しいんですが、緊張と目の前の忙しさで、だんだんと感性が閉じてきました^^;
感性が閉じると、ものごとをうまく感じられなくなって、判断力が鈍ります。仕事の依頼メールがきても、「この仕事をやりたいかどうか」の嗅覚がうまく働かなくなる感じ。こりゃまずい。
感性の復活には、ゆっくりした時間と自然が必要だ! ということで、奥多摩の森林セラピーに参加してきました。
ガイドさんと一緒に森を歩くイベントです。
→【奥多摩・森林セラピー】
川、めっちゃきれい!
7名グループで、川沿いの道や山道を、てくてくと歩いていきます。一人参加の方がほとんどです。
木から甘い匂いがしたり、苔がふかふかに育っていたり。
視覚、嗅覚、触覚と、五感を感じながら、歩いていきます。
花をみるたびに、ガイドさんから「これは◯◯の花で、実がついていて…」という説明がありまして、何度も繰り返し「花が…、実が…」と聞いているうちにふと、
森って命の宝庫なんだなぁと思いました。
いたるところで花が咲き、実がなり、草木が育っている。
都会にいると、人工物に囲まれていますね。ビルも机も呼吸をしていない。
私の一番身近にある生命って、子ども(2歳)かな。自然な生き物。
大人ももちろん生命なんだけど、「命があふれ出る感じ」は、ずいぶん抑えられているように思います。意志の力で行動をコントロールすることで、自分のなかの「自然」を抑えているというか。
自分の内にある自然な部分――草木みたいなわさっとしたした野生、開花しようとする力――を、抑えるんじゃなくて、ガイドしていけたら、いいのかな?
そうか……、文章を書いていて思いましたが、心と頭の役割分担って
・内なる自然(=心)が、草木のように、主体。
・意志(=頭)は、心が開花できるように、まわりの環境を整える役割。
なんですね。
「この方向に伸びてくれたらいいのに」とコントロールするんじゃなくて、
心に湧いてくる嬉しさやぽかぽかした気持ちをコンパスに「ああ、私はこっちに伸びていきたいんだな」と感じ取り、「よしよし、そっちに行こうか」とガイドする。
そんな意志の使い方ができたら、すごそうです。
じゃぁ、意志によるガイドって具体的にどうするの?
野生が心置きなく開花できるように、という役割から考えると、
ガイドとはつまり、
「こっちだ」と伸びたい方向を見定めると同時に、それ以外の本筋でないものはやめていく。「やらないことを、決める」ということですね。
私は子育てが始まってようやく気づいたんですが、睡眠も遊びも、そして子育てもとなると、本当に、時間が有限です。寝ないと動けない。そして寝るとダイレクトに稼働時間が減る…!(切実)
やらないことを決める(これまでやってきたことであっても、本筋でなければやめていく)のは、木の枝を落とすように、自分の一部を終わりにしていくことでもあるので、「大丈夫かな?」とか「これまでやってきたのにもったいない」という気持ちも湧くんだけど、
余分な枝は落としていったほうが、きっと、伸びたい方に全力で伸びていけますね。
そんな考察をした、森林セラピーでした^^
お弁当とティータイム。ツアー中にお昼寝の時間もあって、良かったです〜!
→【奥多摩・森林セラピー】
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