「ありがとう」の1歩先。感情を伝えることは、相手の力を呼び起こす
今日は、コミュニケーションの話。
一歩踏み込んで素直な感情を伝えることで、お互い元気になる! というお話です。
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先日、夫から趣味の飛行機の話を聞いたとき、
「飛行機の話聞けて、嬉しかったよ〜」
と伝えたところ
「えっ、なんで? あんな話が嬉しいの?」
と驚いていました。
ひととなりが伝わってきて嬉しいんだとか、人が好きなものを話しているところが私は好きなんだとか、そういうことを伝えたところ、
「趣味の話、語っていいんだ! 喜ばれるんだ!」
とわかったらしく、その後も、飛行機の話をしてくれるようになりました(笑)。
彼が嬉しそうに話す機会が増えて、私も嬉しい! 嬉しい循環ができました。
この件から考察したので、書いてみます。
なにかしてもらったときや、時間を一緒に過ごした時、「ありがとう」よりも、
「嬉しかった」
「楽しかった」
「わ〜、そういうの好きなの!」
などの感情を伝えるといいんだなぁと思ったんです。
素直な感情には、自分も相手も元気にする力があります。
仕事でも、パートナー間の家事の分担でもいいんですが、「ありがとう」あるいは「助かったよ」って、正直なところ、よくわからんなぁと思います。
もちろん、「ありがとう」と思っていることはわかるんですが、
「うわぁ〜〜〜、ありがとうございますーーーーーーーーー!」も、「問題なく受け取りました」も、言葉としては同じ「ありがとう」で表されてしまうから、本当のところどうだったのか、よくわからない。メールだとなおさらです。
コミュニケーションって、そもそもなにか。
コミュニケーションによってなにが起こると、満たされるのか? まで立ち返ってみると…
「ものごとが円滑に進む」のも、いいのですが、
私は、心のやりとりによってそれぞれにエネルギーが湧く、というのが、コミュニケーションの真髄だと思っています。
相手の心を感じられなければ、業務や家事分担が円滑に進んだとしても、それは「単にタスクが進んだ」だけであり、心のエネルギーにはならないのです。
心の視点から書くと、
「自分の行動が相手に良い影響を与えた」と思えたとき、「よかったな」「いいことをしたんだな」という気持ちがわきます。
その意味で、「ありがとう」は惜しい!
もう一歩踏み込んで、「ありがとう、嬉しかった!」と言ってもらえたら、「自分の行動によって、相手が嬉しくなった」ということがわかります。
「自分が、相手にいい影響を与えている」という感覚は、その人の裡(うち)なる力を呼び起こします。
「これでよかったんだ」という安心感と、「私は、いいことしたんだな」という喜びが湧くのです。
(逆に、「自分がなにをしても相手に影響を及ぼせない」とき、無力感が積もっていきます。
やってもやってもスルーされるとか、当たり前だとみなされるとなると、力を失っていきます。
たとえば、幼い子供が、親を助けようとしていろいろお手伝いしたり、気遣ったりするんだけど、親が一向に元気にならない……影響を与えたと思えない。
そんなことが重なると、「自分はだめなのだ」「もっともっとがんばらなければいけないのだ」と強い無力感を覚え、大人になっても頑張り続けてしまう、といったことが起こります)
「嬉しい」と伝える側にも、いいことがたくさんあります。
言葉にして伝えることで、「私はこれが嬉しい」という自分の感情を、相手に受け取ってもらえるのです。
感情を受け取ってもらえると、安心するし、相手への信頼感が増します。
もちろん、相手の状況によっては、受け取ってもらえないこともあります。受けるか受け取らないかは、相手の自由です。
受け取ってもらえないときがあっても、いいのです。感情を言葉にした時点で「自分で受け取る」意味があります。
感情を言葉にすることは、「私はこう感じているんだ」と、自分の感情を自分で承認することなのです。
なお、自分の感情を誘導目的に使ってはなりません。
「またやってもらうために”嬉しい”って言っておこう」とか、そういう邪念が入ると、相手に伝わります。嬉しいって言ってるけど、嬉しそうじゃないな……とかね。そういうのはわかるもんです^^;
自然に出てきた素直な感情を、ただ伝えてね。
まとめますと、
嬉しいと思ったら、素直に言葉にしてみる。(思わなければ、別に言わない)
一歩踏み込んで、自分の感情も一緒に伝える。
それだけで、お互いをエンパワメントするコミュニケーションができるのです。
ということで、「ありがとう」というときは、ぜひ自分の感情も伝えてみてくださいね。
自分も相手も元気になりますよ〜!