精一杯やってゆだねる。神様がいるんだなと思う。

今日はちょっと不思議なお話かもしれません。お付き合いいただければ幸いです〜!
 
 

 
 
こんな感じの本が書けたらいいな、
でもまだ先だろうな……
と思っていると、
 
「こんな感じの本を書きませんか」と
見知らぬ編集者さんが声をかけてくださる。
 
ということが、3度あり、
 
わたしの場合は、どうやら「書く」という方向に
神様がいるんだな、と思う。
 
 
 
相談者さんにも、こういうことが起こることがある。
 
「こういうことができたら」と思い
「でも無理だろうな……そんなこと、現実には難しいよな」と
頭では思っているんだけど
 
心と体は、どうしようもなくそのものごとに惹かれて
行動としては、すでに「こういうこと」をやっている。
(採算度外視で趣味の活動に取り組んでいる、など)
 
 
ただ自分のために、一人でコツコツとやっているうちに
「それ、うちでやりませんか」
と声をかけられる。
 
頭では「難しいだろう」と思っていただけに、
 
「不思議な事があるもんだ」
という感じがするし、
なにかに呼ばれたような感じさえする。
 
大いなるものを、感じる。
 
 

 
人生の進路において大いなるものを感じる、というのは
特別なことではない。
 
大自然の中で、人間ってちっぽけだなと感じるとか、
神社や文化財など、脈々と大切にされてきた場所へ行って
その場所の「なんだかいい空気」を感じるとか、
そういったものごとと地続きだ。
 
 
大いなるものを感じるとは、
自分の努力や能力を超えたものを感じる、ということでもある。
 
「自分の今の状態は、自分の努力や能力の結果だ」
という自己責任の世界から、一歩外に出る。
 
 

自己責任の世界は、因果関係の世界だ。
結果には明確な原因があるとする考え方。主には、本人次第だというとらえかたになる。
 
「自分がうまくいったのは、自分ががんばったから」
「あの人がうまくいかないのは、がんばりが足りないから/あの人になんらかの原因があるから」
 
このとらえかたは、うまくいかないとき、しんどい。
 
そして、うまくいっているときでさえも
「がんばり続けなければ、落ちる」
「努力し続けなければ生きていけない」
という感覚になる。
 
自分にも他人にも厳しく、がんばり続ける世界が続く。
 
 
 
 
大いなるなにかを感じたとき
・トントン拍子に進むこともあればそうでないこともある
・この人とめぐり会えたのは本当に奇跡のようだ
・どうしたってこっちの方向だ
といった、自分の能力や努力だけではない「流れ」や「めぐり合わせ」の存在を、感じる。
 
「能力や努力だけでは説明がつかないものがある」と感じる。
 
 
 
ありがたいなと感謝がわき、
よりいっそう真摯に取り組もうと思い、
 
「どうやらこっちだ」という方向が経験のない未知の分野であっても、不安になりすぎず、「なんとかなるんじゃないか」と取り組んでいける。
 
精一杯やってゆだねることが、できるようになる。
 
深い安心感とともに、生きていける。