どちらからでも山を登れる。〜問題思考と解決志向。HSPの研究と当事者の集合知

*今日はお役立ち記事ではなく、最近こんなこと考えたよ、という記事です。
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お久しぶりです、武田です。
あっという間に涼しくなりましたね。みなさまお元気でお過ごしでしょうか^^
 
わたしの方は、春から新規のご相談受付を再開しまして、日々わっしょいわっしょいと森セッションや適職診断をしています。
 
 
セッション以外では、春〜この秋まで、延々と学びの時期でした。
 
最近では、HSPの論文を調べたり、心理療法の技法を学んだり、英語を始めたり。(英語が聴けるようになったら、海外の心理療法の研修にも参加できるので、セッションでできることが広がるぞと)
 
新しい分野に取り組むたびに
「うわわわ、たくさんある! あれもこれもやるんだ!!」
と興奮し、

圧倒されては
「落ち着けー、落ち着けー、ひとつずつやるんだ…!」
と、自分をなだめています。
 
 
大量に本を読んだり研修に申し込んだりしたんだけど、量が増えすぎたので
「この技法は今すぐ取り入れるのは難しそう。とりあえず今は置いとこう…」
と、刈り込みに入っています。
 
新しい世界が一気に開けて、焦りすぎました(^^;) 
 
  
  
しかしやはり、学びってすごいですね。世界が広がりますね。
  
春〜秋の学びのなかで、一番、響いたのは
 
「どちらからでも山を登れる」
(幸せを目指せる)
 
という考え方です。
  
  
困りごとがあるとき、より幸せな未来を目指すには
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1.問題志向
問題の原因を探し、解消する
 
2.解決志向
うまくいっている状態を強化して、解決を構築する
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という2通りのルートがあるんですね。アプローチが全くちがう。
 
 

 
困りごとに対して、
 
1.問題志向では、
「なぜそのように感じるようになったんでしょう。過去の経験が影響しているのかもしれませんね」
のように、原因を探して解消することで、解決を目指します。因果関係の考え方です。
(フロイトの精神分析や、トラウマに取り組むときなど)
 
2.解決志向では、
「うんうん、ちなみに、その困りごとが起きないときって、どんなときですか? うまくいくときは何をしていますか?」
と「例外」に着目して、うまくいく状態を強化していきます。
 
 
ともすれば私たちは「原因を解決しなきゃ困りごとが解消しない」と思っているけれど(問題志向)、必ずしもそんなことはなくて、
 
問題志向でも、
 
「原因を深堀りせず、うまくいっていることを強化する」という解決志向でも、
  
どちらでも山を登れるんだ、幸せを目指せるんだ、というのが考え方の肝です。
 
 
いま、森セッションも適職診断も、解決志向で行っています。
(もともと解決志向寄りでしたが、より強化した感じ)
  

※詳しくはこちらの本に。
 
 
それで…、HSPの論文を読んでいて「なるほどこれは、山登りのルートがちがうんだな」と思ったんですね。
  
HSPの研究は、アーロン博士以外の研究者も行っていて、様々な論文がでているのですが、彼らは主に
「感覚処理感受性は、なぜ・どのようにして起こるのか(遺伝と環境の関係は?など)」
「脳内でどのような処理が行われているのか」
といったことを調べています。
 
つまり
「なぜ、そうなるのか?」
を調査している。
 
 
一方、私は、セッションでも本でも
「こんなときは、こうするとうまくいくよ」
とやってきたんですね。理論ではなく、生活上の実践&集合知です。
  
なぜうまくいくのか正確にはわからないが、こういうふうに考えるとラクになるし、実際にうまくいった人たちがいるよ。
あなたに合うやりかたをみつけていこう、と。
 
この考え方って、解決志向寄りだったんだな、と初めて知りました。
 
 
 
研究をやっている人からすると
「HSPについていろいろ言ってるが、最新の知見をおさえているのか。エビデンス(科学的根拠)はどうした」
となるし、
 
カウンセリングをやっている人からすると
「いやいや、脳の仕組みがわかったところで、生活の困りごとは具体的にどうしたらええねん。クライアントはいま困ってんねん」
となる。
   
 
ともすれば、お互い「なにやってんねん」となるんだけど、
 
ルートがちがうだけで、
幸せを目指していることに変わりはないんだな、と思いました。
 
 
研究は原因や体内の仕組みを明らかにすることで、人類に、そして最終的には目の前のHSPの幸せに寄与するのだし、
 
カウンセリングは「今日の生活を具体的にどうする?」「どうしたらもっと幸せ?」を相談者さんと一緒に考える。
 
役割はちがうけど、 
どちらも「幸せ」という山を登っているんだな、と
そんなことを思いました。