人の痛みにひきずられるときの対処法
繊細の森もりばん・友紀です。
「繊細さん」として生きてきて
気がついたことと、
困ったときの対処法シリーズです。
【人の痛みに引きずられるとき】
※繊細さん
=感受性が豊かで、
いろんなことに気がつきます。
「気づきすぎてしまう」ため
生きづらさを抱えていたりもします。
繊細/繊細でないことに
優劣はありません。
ただただ【性質が繊細である】
というだけです。
「足のサイズが○cm」と
一緒だと思っています。
詳しくは「繊細さんとは」を見てくださいね。
私の場合は、
HSP(Highly Sensitive Person)
に当てはまります。
世間一般に見て、
繊細具合が高いです。
「いろんなことに気づく」
という性質が強いので
「人の気持ちに気がつく」
ということがあります。
これはほんとに良し悪しで
悪い方向に振れた例。
↓↓↓
幼い頃(3歳ぐらいか?)
母にひどく叱られたことがありました。
幼いなりに
自分のしたこと
(暖房の入ってる部屋のドアをちゃんと閉めなかった)
がきっかけとはいえ
「母、やつあたりしてる( ´ ▽ ` )」
とわかってしまった。
同時に
「やつあたりせざるをえない母の心の痛み」
を察知してしまった。
繊細な子どもとして
その出来事をどう処理したかというと
↓↓↓
「やつあたりする母ひどい!」
ではなく、
「やつあたりせざるを得ない母の心の痛み」
の方に強く共感して
じぶんの心が痛んだ。
「母! 母、辛いんだね…!
。・゜・(ノД`)・゜・。」
という状態です。
3歳の子どもが想うには
あまりに切ないのだが
この現象は
私が家を出るまで無意識に続き
母が少しでも不機嫌になるたびに
「不機嫌にならざるをえない母」
を想って
私が心を痛めるという事態となりました。
母が不機嫌な理由は
外にあったので
私がいくら心を痛めても
心配しても、家事を手伝っても
母の心の痛みは解消されず
「私がなにをしても
母の痛みは解消されない」
という不毛なサイクルに気づかないまま
母の痛みを、
私がずっと感じて
ずっと心を痛め続ける、、、
ということが起こりました。
↓↓↓
ここで、
どうすればよかったのか?
を振り返ると、
【人の痛みは人のもの】
という認識を持てば良かったと思うのです。
↓↓↓
STEP1.
大切な人であろうと
【心を痛めている人とは距離を取り、
まずは自分の心を守る】
STEP2.
相手ときちんと距離をとれたら
【適切な助言をした上で、見守る】
※私が思う「見守る」とは
・相手を変えようとはせず
・自分を磨り減らしてそばに居ることでもなく
・適切な助言をして
・助言を採用するかどうかも含め
あとは、その人次第だと
「自分」と「相手」の間に一本線を引き
・自分はじぶんのことをしながら
・それとなく相手を気にかけていること
です。
「距離をとって見捨てる」のではなく
「距離をとって見守る」
↓↓↓
当時の私が
母に対してこれをできたかというと
非常に難しいと思うのですが
自分の「気づきすぎる」という性質や
適切な方法を
知らなかったゆえに
心を痛め続けたという過去があり
同じような状況の人々や
自分自身の今後の参考になればと
書きました。
* * *
今後、大切な人に
同様のことが起きたとき
「痛みに引きずられず」
「相手を見守る」
ということを
できたらと、思うのです。
* * *
「繊細さんの歩き方」でした。