HSPについての議論が進み始めた。朝日新聞・オピニオン欄

4/24、朝日新聞のオピニオン欄「耕論」にインタビューを掲載いただきました。
 
・HSP専門カウンセラーであり、当事者でもある私
・社会学者の土井さん
・精神科医の松本先生
の3者が、それぞれの立場から繊細さん(HSP)について意見を述べています。
(電子版は有料ですが、途中までお読みいただけます〜!)
  
→【「耕論」インタビュー(電子版)】

 
 
とても良い記事なのでぜひ本文をお読みいただきたいのですが、少しだけ概要を載せますね。
 
私からは、

HSPの存在が知られるようになったことで、人はそれぞれ、考え方や価値観だけではなくて「感じ方」も違うんだ、ということが見えやすくなった。

ということをお話しました。
  
 
社会学者の土井さんは

「いい学校、いい会社へ入ればOK」といったはっきりした目標を持ちづらくなった。
 
かつて人間関係は、明確な目標を実現するための手段だったが、今は人間関係そのものが目的化している。
 
価値観が多様化し、歩むべき方向が不透明になったぶん、他人の視線を強く気にするようになった。

という社会の変化を述べています。
 
 
 
精神科医の松本卓也先生は

別の診断名をつけた方がよいと思われる場合もあるから、実際にHSPにあてはまるかどうかは慎重に検討すべき。しかし、HSPの概念を使うことで、日常生活でどんなことに困っているのか、当事者本人が話しやすくなるメリットは小さくない。

むしろ最近、「HSPにはエビデンス(根拠)がない」「素人が言っていることだ」などとあざける医学や心理学の専門家が少なからずいることが、気になっている。

という旨を述べています。
 
 
私が相談者さんに話を聞く限り、精神科医や病院勤務のカウンセラー(臨床心理士・公認心理師等)の、HSPに対する見方は、人による…という状況です。
 
相談者さんから、
「心療内科に行って『HSPだと思う』と話したら、あれは医学的な概念じゃないんだよと諭された」
「病院のカウンセリングで『HSPって知ってますか』って話したけど、『知らないなぁ』と言われて終わった」
などのお話を伺う一方で
 
「小児科の待合室に『繊細さんの本』がおいてあって、それでHSPについて知った」
「カウンセラーに『あなたはHSPなんじゃない?』と言われて、(武田のところに)相談に来た」
などの声もあります。
 
HSPを知っているか、知っていたとしてどうとらえているかは、本当に様々です。
 
 
ただ…、HSPという言葉を使わなくても
「資質として感受性の細やかな人たちがいて、まわりとのちがいが悩みにつながる場合がある」
ということは、
 
クライアントの話に耳を傾けてきた精神科医やカウンセラーであれば、肌で知っていたことなんだよなぁ、と思います。
(2006年に出版された、泉谷閑示先生の『「普通がいい」という病』にも、ものさしの細かさのちがいの話が出てきます)
 
 
 
HSPは医学界では認められていない、医学的な概念ではない、と言われます。でも「国際的な診断基準・分類に掲載されていない」イコール「そんなものは存在しない」というわけではないんですよね。
 
精神科医の松本先生は、今回のインタビューのなかで

精神科の病気は社会とともに変わります。(略)当事者の声をよく聞くことが新たな診断や理論の構築につながってきました。声を聞き取ることは精神科臨床の全ての基礎です。

と述べています。
 
科学も医学も、「それまで”ない”と思われていたもの」を誰かが発見し、様々な人が「本当にそうなのか」「再現性は」と検証して、証明されていくものです。
 
ニュートンが万有引力を発見し、社会に広く認められる前から、万有引力は存在していたように。
 
 
松本先生が広い視野で発言してくださったことが、私には本当にありがたく、嬉しかったです。朝日新聞の記者さん、よくぞこんな先生を見つけてくださった…、記者さんもすごいなと。
 
朝日新聞に、3人それぞれの立場からみた意見が掲載されて、本当に良かった。HSPについての議論が、当事者以外の場所でも進み始めたんだなと思いました。
 
 
 
こうして議論が始まったのは、やはり、繊細さん(HSP)たちが口に出してくれたからです。HSPのことをSNSで発信したり、心療内科で先生に聞いたり。
 
ひとつひとつは小さなツイートでも、本当にたくさんの方々が発信してくれたから、HSPの概念が日本で広く知られるようになり、メディアが動き、「一部の人がそう言っている」だけでは済まない状況になってきた。
 
HSPの議論は「当事者がそう言っている」だけでは届かなかった、次の次元にさしかかっているのだと思います。
 
様々な立場から議論が進めばいいな。
そうすることで、社会が、ひとりひとりをありのままで抱えられる、心優しい方向へ進んでいったらいいなと思っています^^
 
ということで、ぜひぜひこちらお読みください〜!
→【「耕論」インタビュー(電子版)】
(4/24の朝日新聞です。紙版は、図書館にもまだある…かな?)
 
 
<補足>

今回、「国際的な診断基準」という話がでたので、考えてみたのですが…
 
もしHSPが精神医学上の分類を受けるとなったら、私は個人的には、全く賛成できないと思いました。(あくまで、将来そんな議論が起きたら…という仮定の話です。)
 
HSPは病気ではない(ある時点でなって、治療の対象になるものではない)ので、分類されるとしたら障がいのほうになるのだろうけど、どちらにせよ賛成できない。
 
障がいという言葉には、そもそも、なにをもって「障がい」というのか…「障害は社会の側にあるのであり、当事者の状態を障がいというのはおかしい」という議論もありますが、
 
それをふまえたとしても、HSPを発達障がいや病気として扱うことは
 
「女性であることは発達障がいです/病気です」
と言われるような、とんでもなくおかしな話だ、と私は思います。
 
精神科医やカウンセラーは、女性ならではの身体的な変化や、社会的・文化的な背景を踏まえた上でカウンセリングを行う必要があるけれど、女性であることそのものを障がいや病気だととらえたりはしないですよね。
 
HSPをめぐる議論は、それと同じ話のように思えます。 
(↑たとえを女性としましたが、女性の部分は男性やLGBTQに適宜読み替えてお読みください〜!)