感じたことをただ書く。時代が反映される

ここは自分のHPなんだけど、それでも「こういうこと書いて、いいのかな」と思うことがありました。
 
ちょっと不思議な話だったり、
ただ自分の感じたことであったり。
 
ノウハウではない「自分が感じたことをただ書く」ということに、どれだけ意味があるのかしら。
 
 
「こういうことで困ったら、こうしてみてね」っていうノウハウは、「誰かの役に立つ」から書きやすかったんだけど、
 
自分自身が変化して
「もう簡単なノウハウを書きたいんじゃないんだ。『役立つ』に縛られるのはイヤだ」
と思ったとき、
 
「でも、ノウハウじゃないものを書いて、どうなるんだ?」
という葛藤がありました。
 
「他人がどう感じたかなんて、読んでおもしろいのか……?」と。
 
 
葛藤していた期間、3年ぐらい。(長い!)
 
 
ノウハウじゃない記事を書いては「エッセイ」のカテゴリーにして「これは役立ち記事ではないですよ」とエクスキューズしてみたり、HPでの記事の表示のしかたを何度か変えたりと、ジタバタあがいていたんですが、
 
そういう葛藤も、もうずいぶん小さくなって、
 
腰を据えて、再び、感じたことを書いていこうと思います。
 
(行動としては、これまでも感じたことを書いていたので、いよいよ自分のなかで許可をした。頭が心に追いついた、ということです)
 
 
 
不思議だ不思議だと思っていたんですが、
感じたことをフックに、すーっと自分に潜った時、自分が想像しなかった考えや思想にたどりつけるんです。
 
書きながら「そっか、そういうことなのか」とびっくりしたことが何度もあります。
 
だから、感じたことをそのまま書いていくことで、新しい道が拓けるだろう。2年後には、今はまだ想像のつかないところにたどりつけるのだろうと思います。
 
 

 
 
わかりやすく、役に立ち、おもしろい。
 
そういうものでなくても、毎日を生きて、心を見失わずに書いたなら、誰かに届くだろうと思います。
 
 
今の時代に根を張って生きて
「私は/僕はこう感じた」
と、本当に思ったことを書いたら、

自然とその時代が反映された内容や表現になる。
 
 
繊細さんは感じる力が強いがゆえに、痛みも感じやすい。時代のカナリヤでもある。
 
痛みを感じたからこそ、実感を持って「本当に大切なのは、こういうことなんじゃないか」と考えることができる。
 
痛みの時期を終えたなら、今度は喜びの世界をめいっぱい感じて、表現していくことができる。
 
 
 
発した言葉が今の時代の半歩先なのか、
ドンピシャなのか、
100歩先なのかで、
 
どのくらい多くの人に届くのかは変わるんだろうけど、誰かには届くだろう。
 
 
苦かったり、真面目だったり、ニッチだったりするものは、
届かないんじゃなくって、
 
それを待っていた少数の人の心に
 
「こんなことを考えた人がいるんだ」
「自分だけじゃなかったんだ」
 
と、届くのだろうと思います。
 
 

わからない、だけど知っている