【みんなの感想・レビュー】「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」 長沼睦雄 著。書評

「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」長沼睦雄 著。みんなの感想・レビュー・書評

 
こんにちは、繊細の森もりばん・友紀です。
繊細さん・HSP気質の方におすすめの本のご紹介です。
 
「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」
長沼睦雄 著

 
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読んだよ~!という皆さんからご感想・レビューが寄せられました。
ありがとうございます。
 
 
 

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<30代・女性・自営業 香さん>
 
「気にしすぎ人間」という言葉にピンと来て、「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」を手に取りました。読んだ後に、これまで自分の中にあったモヤモヤが、すっきりと言語化されたのを感じています。よく分からなかったものをきちんと認識できるようになったことで、今は「気にしすぎ人間」の自分を許せる気持ちです。
 
 
「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」で私が得たものは二つあります。
 
「どうして私はこんなに気にしすぎてしまうのだろう」と「私はどうしたら細かいことをもっと気にせずに生きることができるのだろう」という悩みへの回答です。生きづらさを分析したいと、自分なりにいろいろ考えてきました。しかし、最終的には「私は内向的な性格だから」という一点で自分を納得させてきたように思います。モヤモヤは解消されず、長沼睦雄先生の言葉でいえば「目隠し」をされたままだったのでしょう。
 
本の中にあった「気にしすぎてしまう原因」はとても分かりやすく、論理的でした。原因として紹介されていた事柄は、読みながらどれも自分に当てはまる気がして、途中で少し心苦しくなったところもあります。ただ、原因が明確に言葉で理解できたことで、やっと解決する対象がクリアになった気がしました。
 
 
私は小さい頃から、「感受性が強い」「繊細なタイプ」「細かいことまで気にしすぎる性格」だと言われてきました。自分自身、特に人間関係において生きづらさを感じることが多々ありますし、大人になり社会に出てからは、責任ある仕事を前にやりがいや充実よりも不安を感じることの方が多い気がします。
 
「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」との出会いは、そんな気にしすぎる自分を許すきっかけになりました。長年、「前向きにならなければ」「内向的な自分を変えなければ」とポジティブに捉えようとしてきたのですが、結果的には自分を苦しめていたようです。自分を責めていたのかもしれません。これまで内向的な性格ゆえに、自分の内面をしっかり見ているつもりでした。しかし実際のところ、自分の心の内から目をそらしていたのではいか、という気もします。『自分の内に「答え」がある』ことを改めて意識できたことは、私にとって大きな意味がありました。
 
内向的な自分を素直に認められたことで、気にしすぎる自分とうまく付き合っていく方法についてもたくさんの気付きがありました。特に印象的だったのが「自分を守る境界線のつくり方」。共感性の高さが、自分の生きづらさにもつながっていたようです。一方でマイナス面だけでなく、周囲の人の気持ちを感じることができるプラスの面もあります。いいところを生かせるように、仕事だけでなくプライベートにおける人間関係においても「境界線」を日頃から意識していきたいです。
 
 
「気にしすぎ人間へ クヨクヨすることが成長のもとになる」は読みやすく、最後まで平易な言葉で書かれています。気にしすぎであることや内向的であることを否定するものではありません。温かい言葉は、そのままの自分を許し次への歩みを進める後押しになってくれるものだと感じています。生きづらさを感じたときには、また読み直したいと思います。
 


 

 


<30代・女性・翻訳業 さくらさん>
 
『気にしすぎ人間へ』の著者である長沼睦雄氏は、北海道立緑ヶ丘病院の精神科医長です。そのせいでしょうが、まるで繊細な患者に語りかけるように、温かみのある言葉で書き綴られています。ソフトでありながら、心に響くその言葉選びに、長年多くの患者の治療にあたってきた経験の豊富さを感じさせます。
 
たとえば、表紙をめくると、その裏側には次のように書かれています。
 
「小さなことを気にしすぎてクヨクヨ悩んでしまうのは、単純にあなたの心が弱いからではありません」
 
気にしすぎる人間は、自分自身がいろいろなことを気にしすぎるということを否定的に捉えて、気にしすぎる自分自身の気質自体に対してクヨクヨしがちです。
私も「気にしすぎ人間」の一人で、「もっと前向きにならないと」、「いつまでもクヨクヨしてちゃだめだ」と考え、クヨクヨしてしまう自分を卒業しようとしては、そのたびに失敗し、さらに自己嫌悪を強めてしまうという悪循環にたびたび陥ります。
 
私のような「気にしすぎ人間」に対し、長沼睦雄氏は、クヨクヨ悩んでしまうのは単純に心が弱いせいではない、と言ってくれるのです。これは大変心強い言葉です。
 
 
どうして長沼睦雄氏は、クヨクヨ悩んでしまうのは単純に心の弱さのせいではないと言うことができるのでしょうか。そのキーとなるのが”HSP”です。
 
HSPとはHighly Sensitive Personの略で、日本語に訳すと「とても敏感な人」という意味になります。長沼睦雄氏は、日本で数少ないHSPの研究者でもあるのです。気にしすぎる人間は、もともとHSP気質であることが多いそうです。HSP気質を持つ人は、外界の刺激にとても敏感なので、刺激の少ない環境を好みます。そのため、自ずと内向的になってしまうようです。
 
長沼睦雄氏は『気にしすぎ人間へ』の中で、生まれ持ったHSP気質は変えることも可能であると主張します。その一方で、HSP気質は必ずしも悪いものではなく、無理に変えようとしなくてもいいとも述べています。気にしすぎる気質にも良い面があるからです。たとえば、気にしすぎる気質の人は、小さなことにもよく気がつき、他人に対して細やかな気配りができます。
 
 
『気にしすぎ人間へ』を読んで一番強く感じたことは、気にしすぎる自分を変えるのではなく、その繊細な部分を大切にしながら、気にしすぎることで自分が辛くなることをなるべく回避するのがベストなのかな、ということです。
気にしすぎる気質の人は、人間関係で辛い思いをすることが多いです。
 
たとえば私の場合、他人には興味がありますし、他人と接することも好きなのですが、自分の言動が他人を不快にさせていないか、気になって仕方ないときがあります。他人の反応を気にしすぎることで、自分で自分を疲れさせてしまうのです。そうなるとひとりでいる方が楽なので、つい他人を避けがちになってしまいます。
 
そのため、私の学校生活は苦痛に満ちていましたし、社会人になってからも会社の人間関係に悩み続けました。「そんな自分を変えたい」と願ってきましたが、「変わらなくてもいい、それよりもまずはありのままの自分を受け容れよう」とは考えませんでした。つまり、ありのままの自分を否定し続けてきたのです。
 
まずは、自分自身を受け容れることから。
 
 気にしすぎる自分を受け容れ、なるべく生きやすい道を模索するために、まずは、どうして気にしすぎる気質になったのか自分自身と徹底的に向き合って考えることが大切でしょう。「自分自身と向き合う」といってもどうすればよいのかわからない人が大半だと思いますが、そのためのヒントが『気にしすぎ人間』にはたっぷりと詰まっています。『気にしすぎ人間へ』は、気にしすぎ人間である自分自身を探求するための入門書と言っていいかもしれません。
 


 
<大学生・男性・きむらさん>
  
「気にしすぎ人間へ」を読んで 著者:長沼睦雄 
 
私は、生まれつき、自分の周りが気になって仕方がないという性格でした。 
人間関係や仕事について、他の人は全く気にしていないようなことでもクヨクヨと悩んでしまうのです。 
 
時には「どうせあの人は私の事・・・」とか「また前みたいに失敗するかも・・・」と、被害妄想のように考えてしまいます。 
 
 
 
この「気にしすぎ人間へ」は、そんな私のような人にむけて救いを差し伸べてくれるような本・・・というより、私のような「気にしすぎ人間」の本当の姿、大切な本質に「気付かせてくれる」本でした。 
 
「気にしすぎ人間」には、ある思考のクセがあるといいます。入ってくる情報の悪い部分だけを聞いてしまう心のフィルターやマイナス思考、「~すべき」という使命感などです。 
 
 
 
私が特に気を付けなければいけないと感じたのは、「他人への思い込み」です。 
これは、「どうせあの人は、私のことをこう思っている」と、勝手な思い込みをして悩んでしまうというものです。。 
 
私がこれを見たとき、「まさに自分のことだ」と感じたのですが、この「気にしすぎ人間へ」を読むまでは、そのように自分を客観的に見るようなことはありませんでした。 そして、自分を客観的に見直すことで、どうして自分がそのような考え方をしてしまうのか、という謎が解けました。 
 
私は常に他人の言動に注目し、心を読もうとしていたのですが、それは「不意打ち」への恐れからでした。相手の心を読んでいれば、予想外の出来事は避けられ、動揺して自分の弱みが出るという事が起きないという考えです。 
 
さらに「弱みが出ることへの恐れ」は、「自己愛性パーソナリティ」という特徴を私がもっているということに気が付きました。これは、「高いプライド」と「低い自信」が同居している状態で、それゆえ、理想の自分を他人に見せようとして見栄を張り、自分の弱みを見せるのを避けようとするものです。 
 
このような心の状態から、私は非常に繊細で、他人からの批判にめっぽう弱く、他人を信用するのを恐れる内向的な人間になっていったのです。 
 
 
 
そんな私が、「気にしすぎ人間」を卒業できたキッカケは、「自分を受け入れること」でした。 
 
自分自身を客観的に見直すことで、「等身大の自分」が分かるようになりました。本当の自分の良いところも悪いところを知り、その上でそれを認めて、許しているのだという自覚が大切だと気付きました。そうすれば他人に見栄を張る必要もなくなります。なぜなら、理想の自分でない今の自分にも、良いところはあると知っているからです。 
 
 
 
「気にしすぎ人間」は、「私はこれができないからダメなんだ」と、自分の悪い面にばかり目を向けがちです。しかしそんな人にも、というよりむしろそんな人だからこそ、持っている良い面もあるのです。私はそれに気がついたので、良い面も悪い面も含め自分らしく生きようと思えるようになりました。
 
周りの人には気づけないことにも気が付いて、相手の立場で考えながらさりげない気遣いができる。このような事は「気にしすぎ人間」にしかできません。自分に自信がもてない時 には、その人だけの良いところを探すために自分を見つめ直し、悪いところも良いところも受け入れて、自分らしさを大切にしていこうと感じました。

 
 


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